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"It is documented" 2012 installation view

これまで山田周平は写真を中心に特異な手法を使いながら作品を発表してきました。
近年では写真のみならず映像、他の素材など多様なメディアをつかいながら、我々の記憶や認識に刺激を与えるような作品を制作しています。展覧会「It is documented」を通してこれまでとこれからを聞いてみました。

AMA: 今年3回目の個展ですね。今回の展覧会も含め出来上がる作品を目の当たりにするにつれ、あなたの作品製作のプロセスにとても興味を持ちます。
作品制作についてどのように考えているのでしょうか?


Shuhei Yamada(以下 SY) : 2010年の個展[day for night]までは自分が生まれ育った郊外の風景のことが常に念頭にありました。
私はいわゆる新興住宅地に高校生まで住んでいたのですが当時感じていた郊外の時間の流れ方や、郊外の在り方を念頭においてイメージを作っていました。例えば郊外はその土地に突然変異的に生まれた場所だなとか、徐々に町が発展して行くのではなく、スタートと同時にゴールがあるかの様なところだとか、そういったことです。郊外は「永遠の現在性」を持った場所とでも言えるのではないでしょうか?
昨年、3331で行われていた港千尋さんの講義を何度か聴講しに行ったのですが、その時、港さんがグローバル化の中で生まれた場所<non place>について語られていて、それを聞きながら、これまで私が作品として形にしたかったのは<non place>のイメージ化だったんだなと腑に落ちた感じがしました。
それからもう一つ、常々、物語に回収されずに見ることができるイメージを作りたい、当時の自分の言葉で言うと、優れた記録装置であるカメラを使い具体的な物を撮りながら、いかにしてそこから遠くにいけるか?という風に考えていました。今は作品に対して十分に距離がとれているので、こうして言葉にすることもできますが、あの頃は言葉と、郊外の風景とが頭の中でモヤモヤしながらつくっていました。


AMA: なるほど。たしかに初期の作品"round-around"をみると、無国籍なイメージを受けます。人は建物の中に収納され、外は車と無機質な巨大プレハブが連続する巨大なショッピングモールから受ける空虚感といいますか、山肌に切り開かれた新興住宅地の持つ不気味な静けさみたいなものかもしれません。
これらの作品を制作する際あなたは写真からテキストやアイコンを引き算(削除)しながらつくっていると言いますが、制作手法と作品の関連性についてお聞かせください。



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"round-around" 2001 シリーズから



SY: 引き算の方法は2001年の"round-around"を制作したときに思いついた方法です。
あの作品は海外含め、様々な場所を旅行したときに撮影した風景から文字情報を消したシリーズです。
先ほどお話ししたように郊外の匿名の風景が念頭にあったので、撮った写真を編集するときに、それら写真から感じるその土地の個性のようなものを消せないかな?と考えているときに思いつきました。写真は本質的に匿名的なものだと思うのですが、視覚が言語化した今、何らかの操作なしに写真をその本質にしたがって見ることは困難だと思っています。



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"Untitled"シリーズから photo by Hayato Wakabayashi



AMA: 風景写真に限らず、撮影された以上ほとんどの写真には意味がのっかっていると思います。"Untitled"のポートレートのシリーズもすべて後ろ姿で顔が見ることが出来ませんが、これらもやはり個性を消すという部分で共通していますし、なにより写真の持つ風景写真やポートレート写真という重要なフォーマットが否定されているようで、なんともアイロニカルですね。
2011年以降の作品では、個人的に撮影した写真だけではなく、元々流通している画像や素材をつかいながら、主題を見えにくくするような行為がよく見られます。単純に消し方にも沢山のパターンがうまれていますし、なにより支持体(消される元画像)自体にもかなり比重が置かれているようにも感じますが。



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"Untitled" 2012

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"Untitled_blanket" 2012 print on wood board



SY: その変化はやっぱり震災が大きく影響しています。
震災後、被災地の石巻で体験した報道と現実のギャップを肌で感じたこと。そのあとコンビニで見たお菓子のパッケージの<写真はイメージです>という言葉から<イメージの現実はイメージの現実>なんだと実感したことが大きかったです。2012の前半の作品は基本的に<イメージの現実はイメージの現実である>ということが根底にあります。


AMA: なるほど、私は地震後被災地には行っていませんが、いつの時代も報道される事実と現場の雰囲気には良くも悪くもギャップがあると思いますし、レストランでも写真と同じイメージのものが出て来たことは無いように思います。そのギャップを見た時にストレスを感じることも多いですが、そこに生かされている部分も多分にあるようにも思います。2012年5月に発表されたサイトスペシフィックな作品"occupy"はこれまでとは違った規模の大きな作品ですがこちらに関してはどうでしょうか?グループ展で発表された写真の構造を視覚的にした作品(画像photos-graphos)以降、写真の構造的な問題点が念頭にあるようにも思えます。



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"photo-graph" 2012 mixed media

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"occupy"(裏側) 2012 mixed media photo by Hayato Wakabayashi



SY: 社会にあふれる様々な広告看板によって少なからず自身の行動や欲望を左右される
現代社会において、あの作品はイメージが氾濫する現代社会のグロテスクさを示唆しています。
そして、あのウサギの目は常に我々を監視するイメージの目のようにも感じられます。
また、イメージが乗っかっている支持体や構造までもさらけ出すことで<イメージの現実はイメージの現実>であるということを表そうとしました。
どちらかといえばイメージの内容よりも、そのイメージが展示される構造に重きがありました。
それから巨大化したドイツ写真の茶化しでもあったんです。大きくなりすぎてギャラリーに入りませんといったような。



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"occupy" 2012 mixed media photo by Hayato Wakabayashi



AMA: 特に今は多くの写真イメージが個人の欲望を左右したり行動をコントロールするために使われているように感じまし、また史実を伝えるために記録写真や記録映像が重要な役割を果たしているのと同時に国家や政治が社会を操るためにそれらを使用して来たことは周知の事であります。
今回の展覧会[It is documented]はタイトルの通りかなり社会を意識されたようなイメージを受けますが、今回の展覧会についてお聞かせください。


SY: 昨年の震災以降、原発問題などの国の対処などに対して戦前、戦中の日本を思わせる情報規制に批判的な声が多く上がるようになりました。
これまでは経済的な豊かさの陰に隠れてか、また私自身の平和ぼけのぬるま湯的な感性の中で生きていたせいか、輪郭のはっきりしていなかった国というフレームがこの非常時に皆に見える形で浮かび上がってきたような気がします。
そうした意見に触れるうちに、これまでは(一方的な)イメージの中の出来事のような気がしていた太平洋(大東亜)戦争という出来事が、かすかに今の自分とつながりを持ち始めたような気がしました。
見る角度、それを語る人によって戦争の捉えられ方は違うし,僕にはどれが正しくてどれが間違っているとは言い切れないですが、一つだけ僕が感じた確かなのは、名もなき個人が戦争という大きな物語(暴力)に巻き込まれていくそのことに対する恐れでした。現在の原発の問題が象徴的な例で、これは現代社会にも当てはまることだと考えます。
そんな時、渋谷を歩いていると役所広司が主演の戦争映画の看板が眼に入ってきました。その映画の内容は見ていないのでなので何も言えませんが、未だに戦争という物語は人々にとって魅力があるのだなと感じた時、戦闘機が戦った実際の空から、その主役の戦闘機を消した映像を作ってみたらどうかと,"SIMULATED SKY"を思いつきました。



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"SIMULATED SKY" 2012 DVD video 14m30s



AMA: おっしゃる通り、これまで以上に多くの人が今は政治に興味を持っているように思います。
戦争の時代にメディアを通して、事実と違った報道を国民に繰り返し士気を上げたことと、原発に対する繰り返される嘘であったりあいまいな報道などは通ずるものがあり、今も昔も国家と国民という枠組みはあまり変化が見られないのかもしれませんし、カタチを変えながら世界中で今も争いは続いています。
そんな混沌としている実感を受ける中、戦闘機を消された"SIMULATED SKY"を見ていると 今も昔も青い空はずっと青い空のままであり、いつも我々がここに勝手に物語をのせているのだな、ということを改めて気づかされます。


SY: そういってもらえると嬉しいです。
写真/映像表現の本質のひとつはフレームで世界を切り取る表現であるということだと思います。多くの報道写真や映像はそのフレームによって社会を切り取り編集してこれが世界だとテキスト化/ステレオタイプ化します。私たちが認識する現実は多くの部分でそういった編集された視点に影響を受けているのではないでしょうか?
私たちが知ってる戦争はあくまでもイメージの中の出来事だし、これまで見てきた戦争の漫画、ニュースや映画の中で、ある種ステレオタイプ化したイメージを持たされてるところがあると思うのです。もちろん個人的には戦争には反対です。ただステレオタイプ化した事象というのは、どこか自分とは関係のないことのように、その事柄に対して一方的に距離を作られるような感覚があって、今回戦闘機が戦う空から戦闘機を消すことで、そういったステレオタイプなイメージからわずかながらでも逸脱できるのでは?見る人が自分で戦争を想像できるのではないかと考えました。この作品を見た上での感想が、これまでと変わらないものであったとしても、それは受け身的に感じてきた戦争とは違う、もう少し積極的な感じ方になると信じたいです。
それは戦争という大きな事柄に対するとても小さなアプローチですが、今、自分にとって大事なのは、受け身的に見させれるのではなくて、小さなことでも、当たり前のことでもいいから、自分で感じたり、考えたりすることだと思っています。それは戦争にかぎらず、いろんなことにも当てはまることだと考えています。


AMA: なんらかの与えたり伝えたりするための使命を持って生まれて来た多くのメディアに対し、受動的に関わるだけではなく、能動的に関わることで見えて来る世界は必ずあると思いますし、あなたの作品はそのような関わり方をして初めて腑に落ちる部分も多く存在しているように感じます。また基本的なことですが少なからずそれが美術全般を楽しむことにおいて重要な部分だとは常々思います。また戦争というキーワードは多くの人類が共有しているキーワードだと思いますし、近年「個人」と「戦争」の関わり方を考察すことは近代を見直す上でもとても重要なことだと思います。
映像の他に会場内にもう一点Glenn Ligonのペインティング「I Am A Man」を彷彿とさせる「I AM AN AMERICAN」とベニアに描かれた作品があります。フォーマットに黄色いグラデーションも含めとても印象的ですが



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"I AM AN AMERICAN" 2012 mixed media



SY: 太平洋戦争当時、真珠湾の攻撃以降、日系人は敵国の人間として差別の対象でした。皆さんもご存知とは思いますが多くの日系人が財産を没収、またはそれに近い形で私財を失い、収容所に送り込まれました。そんな時代に、ある日系人が自ら経営する店の軒先に掲げた看板です。
< I AM AN AMERICAN >は大きな物語に個人が否応なく巻き込まれていく状況をよく表した言葉だとおもいます。また戦後60年以上経ち、欧米風文化に囲まれて生きる私たちにこの言葉はどう写るのかという思いもあります。



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資料



AMA: 今後どのような展開を考えていますでしょうか?


SY: 国と国の戦いである戦争を題材にすることで、フレームという言葉を強く意識しはじめました。
国というものが、そもそもある枠組みにそって形作られたものでありますし、報道におけるフレーム、人種と言うフレーム、気がつけば、様々な枠の中に現在の私たちは囲われている状況にあるのではないでしょうか?
そのフレームはとても恣意的に作られたもので、実際の世界はもっとなだらかなつながりの中にあると思うんです。
以前韓国、中国と続けて旅する機会があったのですが、そのとき感じた文化のグラデーションは興味深いものでした。また車で行った被災地は、今、自分が住む東京と被災地が同じ地平で繋がっているのだと言う当たり前のことを感じさせてくれました。
世界はグラデーションしている。これは実際の世界の在り方だと考えています。
グラデーションを考えることは、これまでの<物語に回収されない見ること>にも繋がる可能性を感じていて、このキーワードについて深く考えながら作品に上手く反映させていけたらなと思っています。


AMA: 物事を認識する際、わかりやすいのでついついフレームで考えてしまいがちですが、そうしたことで解決出来ないことがいまの社会問題でもありますね。
点で見るのではなくグラデーションという線で見る。この意識はフェノメラルに変化し続ける世界を見通す新しい物差しになりそうですね。



2012年11月 個展[It is documented]にて

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